私の知らない少女の"シルエット" ~田中琴葉プロデュース宣言!?~
語り得ないことは語り得ない。
その語り得ない理由については様々で。
その上で
どういう思考をして
こんな話をするのだろう?と思いつつ、
間違いだらけでもいい、寧ろ間違ったままで構わない。
それでも語り得ない事を敢えて言葉にして残しておきたい。
そんな想いを抱いてしまった。
これは未来の自分に対する、遺産でありチャレンジであり、乱暴なMessageになると思う。
田中琴葉はミリオンライブにほぼ触れたことが無い私にとっては
少し気になるアイドルの一人、程度の存在であり
また、種田梨沙さんに関しても同様になんとなく知っている声優さんの一人、であり
少なくともミリシタプレイ前で
どちらも私が担当になる決め手、では決してなかった。
この時点でプレイしていたら恐らく恵美Pか静香Pになっていたはずで。
そもそもミリオン5thのLVを見に行こうと思ったのも、
たまたまその切っ掛けとなった生放送を見たのも
藤井ゆきよさんがいたから、という理由であり、
事実、2日目を選んだのもゆきよさんが出演されるから、という理由である。
種田さんの出演に関して、またその担当されているキャラクターに関しては
休業~4th~復帰という流れは知っていた物の、副次的な物に過ぎなかった。
それは経験ではなく情報としての物であり、追体験は可能だが、当事者にはなり得なかった。
きっと1日目の参加メンバーだったとしたら触れずに終わっていた事であろう。
それでも、おかえり、という気持ちで向き合っていたのは確かなのだけれども。
ともあれ、5thライブで見た種田さんの立ち姿は神々しい程に美しく
パフォーマンス時の真剣な表情はカッコよく
そしてMCではお茶目な面も見え、歌声も非常に素晴らしく
最後に投げキッスまで頂いてしまっては好きにならない方が難しい。絶対無理。
そんな人だった。
「種ちゃんのファンになりました!」は事実として、
そしてライブが終わってミリシタを始めなければ!と思い携帯をすぐさま替えに行き
ミリシタを始めたら限定琴葉のガチャがあって、
「担当になる運命だった!琴葉大好き!」
というのもまた事実なのだけれど
それらとは少し距離を隔てて
あの日聴いた『シルエット』に関しては非常に考えさせられるものがあった。
先述の通り、琴葉に関しては極めて表面上の"キャラクター"しか知らず
また曲に関しても代表的な物以外は敢えて知らずにライブに行ったので
当然この曲も知らないままで聴いた。
経験として知っている方からすると、この日の彼女のパフォーマンスは琴葉そのものだった、
または琴葉が降りて来ていた、とも取れるのかもしれない
が
何もない状態で聴いた私はただ立ち尽くす事しかできず
それは感動や喜びというものとはちょっと違い、放心状態に近かったように思う。
故に、断片として飛び込んでくる歌詞はダイレクトに胸に突き刺さった。
歌詞にしても、この時点では対キャラクター、含キャラクターというよりも
メタな物として響いて来ていた
特に2番を聴いていたらなんとなく泣けてきてしまった
それでも、それを歌う意味、というものを少し意識してみると
それは種田梨沙さん自身ではなく、やはり琴葉(というアイドル)の存在を感じられた。
歌詞の解釈も多様だと思うが
あの日の私には、種田さんが"田中琴葉"という偶像を創造し投影して自分の前に置き
私もその偶像を見ていた、という気がする。
そして、彼女は"彼女"を知っていて
私は"彼女"を知らない。
それは一度しか聴き得ない貴重な歌であり、極めて奇妙な体験であった。
そこにある隔たりを埋めて行く事。
それが私がこれから琴葉をプロヂュースして行く上での
最大の楽しみであり、理由である、と言える気がする。
例えガチャで引けていなくても遅かれ早かれ・・・トリガーがライブの或る一場面という始まりがあってもいいじゃない。
琴葉を知って行く事で、歌に対する解釈も見え方も全く違ってくるはずであり
隔たりを埋められても、決してその像が完全に重なる訳では無いのだろうけれど
同じものを共有できる感覚は得られるように思う。
ではあの日私は何を見ていたのか?という部分に関しては
それも決して偽りの何かではなく彼女だった、と部分は変わらない事だろう。
『シルエット』での伸びやかなロングトーン。
エモーショナルな表現。光と影の共演。
手の動き。そして、柔らかな微笑み。
種田梨沙さんには「ありがとう」と「お帰りなさい」を。
そして、田中琴葉さん。
はじめまして。貴女をプロデュースさせて頂く執事と申します。
これからよろしくお願いしますね。
しかし、シンデレラの事を書く前にミリオンの事を書く事になるとは
少し驚きではありますね